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団長、ドラゴンズを語る

団長さんが中日ファンになった理由

どうもこんばんは、ループの螺旋階段です。この後、不定期が開催する自分語り企画。私とドラゴンズについてを大いに語りたいと思います。まず1回目は名古屋に縁もゆかりもない私が何故ドラゴンズファンになったかというあたりを語ります

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北海道に住むドラゴンズファンの希少性

初対面の人にドラゴンズファンなんですよというと、北海道に住んでた頃は「なんで?」、関東に住んでからは「名古屋出身なんですか?」という質問をほぼ100%の確率でされます。この質問は毎度毎度のことでかなり食傷気味なのですが、私が返す答えはいつも同じです。

「大豊が好きだったから」

これで「なるほど、一本足打法の選手でしたよね」と返してくれると、この人と野球トークをしようかなと考えますが、「誰それ?」的な反応が返ってくると心を閉ざしても良いかな、と思うこともあったりなかったりなんです。

ちなみに私がドラゴンズファンになったのは大豊が二冠王に輝いた1994年頃という説が有力です。そう、ミスタープロ野球こと長嶋茂雄をして「国民的行事」と言わしめた伝説の10.8決戦があった年です。日本ハムが北海道に移転するまで、北海道はどこの地域よりも巨人ファンが多い土地で植民地のような状態でした。そんな環境でドラゴンズファンなんて名乗ろうものなら、頭がオカシイ奴くらいの扱いを受ける不遇の時代です。(今も多分中日ファンは相当少ないと思いますが・・・)

90年代は94年や96年と巨人の胴上げの瞬間の相手はドラゴンズだったことが多く、その瞬間の映像が出る度に敵としてドラゴンズが登場する、ある意味ヒール役としての刷り込みが行われているような状況です。当時から捻くれ気味で少数派を指示したくなる私としては巨人は応援したくない対象でした。

ちょっと話がそれますが、高校時代に衝撃を受けたエピソードを1つ。私は相も変わらず北海道に住んでいて道内の高校に通っていたのですが、2000年の学校祭だか何かのイベントのときに、ドラゴンズのユニホームTシャツを来ている男(面識無し)が1人いました。ただ、ドラゴンズのユニホームはドジャースにインスパイアされすぎなので、ドラゴンズファンかと思ったら野茂ファンだったというトラップが多いのです。

(さらに横道に逸れて申し訳ないですが、ドラゴンズっぽいロゴがついて「16」の数字が描かれてたリュックを背負っている少年を見た時に森野ファンかな?って思ったけど、思いっきりその下に「NOMO」と描かれていたのもよくある話。)

2000年は野茂はもうドジャースには在籍してないので、それもおかしな話ですがドラゴンズユニを着ているのはもっとおかしい話です。真相を確かめるべく、背中を見ると背番号23で「SEKIKAWA」の文字が描かれているではないですか。これは北海道で隠れキリシタンが如く細々とドラゴンズファンをしていた私にしてはかなり衝撃的な出来事です。

大豊の魅力

「大豊に惹かれて中日ファンになった」このフレーズを聞いて、大豊を知らない人はどれだけ魅力的で格好の良い選手なのかと思われるかもしれません。しかし、現実の大豊はかなりのおじさんです。お世辞にもいわゆるイケメン的な格好良さではありません。「イチローが好きでオリックスファンになった」と言って疑問に思う人はいないはずですが、大豊については疑問符がつけられそうです。

選手のタイプとしては完全に打撃特化型です。足は遅い。基本はファースト守備ですが、時折出てくるレフト大豊は見られたものでは無かったです。しかし、その全てを凌駕する打撃。前傾気味の一本足で思いっきり引っぱたいてスタンドインするホームランは少年時代の私を掴んで話さなかったのです。小学生の頃の私の野球の見方はとにかく打つ選手が格好良いという価値観なので、巨人戦で躍動する大豊に惹かれるのも必然だったのかもしれません。

ちなみに、大豊が活躍した1994年と1996年の成績を貼っておきますね。

 試合数打率本塁打打点OPS
1994年130.310381071.004
1996年129.2943889.971

 

特に1994年は見事としか言えない数字です。

また少し横道にそれますが、私が始めて野球の試合を生で見たのは1996年とかだっと思いますが東京ドームでの日ハム-オリックス戦です。東京ドームのグッズショップでまさかの大豊のキーホルダーを見つけたときは歓喜です。

IMG_6253

これをかばんにつけて登校する小学生。イジメの対象になってもおかしくないですね・・・。

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恐竜打線ナゴヤ球場にあり

ナゴヤ球場は1996年まで利用されて、いかにも昭和的な臭いが残るという印象の球場です。行ったことがないのでイメージでしかありませんが・・・昔の映像を見ると紙吹雪が舞っていたり、観客がグラウンドに乗り込んでホームランを打った選手とハイタッチしたりと今では考えられないごちゃごちゃ感があります。

そして最大の特徴は狭さ。当時は東京ドームが広い部類になるほど広島市民球場や改修前の神宮球場など、狭い球場が多かったですがナゴヤ球場もその狭い球場の仲間です。狭い球場なので、当然ホームランが出やすい。外野守備を軽視しまくった打撃特化のチーム編成に少年時代は心を打たれました。例えば、1996年のベストオーダーと成績は・・・

 試合数打率本塁打打点OPS
コールズ(三)130.3022979.894
鳥越(遊)70.276317.707
立浪(二)130.3231062.870
パウエル(右)130.340(★)1467.903
音(中)86.2651141.755
山崎(左)127.32239(★)1071.007
大豊(一)129.2943889.971
中村(捕)115.2711237.745

 

こんなオーダーです。ちなみに★印はタイトル獲得しています。レフトに山崎がいるという投手泣かせのオーダーです。でも、トップバッターに外国人を配置したり、3年連続首位打者のパウエルがいたり、この年の本塁打ランキング1位と2位が6,7番という下位打線に控えているラインナップがたまらなく少年心をくすぐるのです。

ナゴヤ球場にそびえ立つダブルエース

そんな狭い球場がゆえに、基本的には打ち勝つ野球を目指すのですが、狭い球場でも圧倒的な力で抑え込む投手がいました。それも2人。今中と山本昌です。この両左腕はダブルエースとしてナゴヤ球場でも活躍します。例えば1993年の成績は・・・

 試合数イニング数完投(完封)勝ち負け防御率
今中30249(★)14(★)(3)17(★)72.20
山本昌27188.110(5(★))1052.05(★)

ただ、成績を見るとダブルエースに見えますが、リアルタイムで観戦した私としては今中がエースで、山本昌は2番手というのが実感覚です。やはり、今中はイニング数がすごいです。完投も多い。

この二人、細身で切れ味鋭いストレートと相手をあざ笑うかのようなスローカーブを操る今中と、大きくごつい体をフルに生かして遅いストレートとストンと落ちるスクリューを使いこなす山本昌という同じ左腕でありながら異なるスタイルというのも魅力的。この頃は知る由もありませんが、美しくもはかない今中と太く長い野球人生を歩んだ山本昌というのもストーリー性があって良いです。

ナゴヤ球場からナゴヤドームへ

今中と山本昌の1993年の成績を貼ったのはこの2人が最も活躍した年だからです。今中は1995年以降、酷使が原因の怪我の影響で徐々に成績を落としていきます。この2人の全盛期と打線の充実期が微妙にかみ合わなかったこと、この2人以外の投手が続いていこなかったことが、90年代のナゴヤ球場で優勝が出来なかった原因だと考えています。

でも、そんな細かいことはどうでもいい、とにかく打って打って勝てばいいんだろ、という魅力でいっぱいのナゴヤ球場時代というのが私がこの時代に抱く思い出です。そして、1996年ナゴヤ球場は役目を終えてナゴヤドーム時代に突入していくです。

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